スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

中国報道:織田信長が日本人の心の神仏を殺した

数年前、中国で徳川家康の歴史書が大ヒットしたそうです。
ビジネスマンにとてもよく売れたとか。
また最近の若者は日本の戦国時代を扱ったゲームにも親しんでいるようで、日本の戦国武将に詳しい若者も増えているようです。
それに従い、日本の戦国時代や戦国武将を扱った書籍も出版されるようになっているみたいですね。
というわけで、今回はそれに関する記事をご紹介。










織田信長が日本人の心の神仏を殺した
2012年05月13日 05:45
//book.ifeng.com/gundong/detail_2012_05/13/14489279_0.shtml

 もし今の日本人に、あなたの信仰している宗教はなんですかと訊いたら?
ほとんどの日本人はこう答えるだろう。
私は無神論者です。
この答えの源は織田信長にある。
政教合一の接点を断ち切り、政教を分離させた、これこそが信長の全てである。

姜建強

記事元より引用

『日本戦国風雲録』(上、下)

洪維揚著

広西師大出版社

2011年1月第一版

513頁,78.00元

 近年、国内の出版界では続々と日本の戦国時代を扱う歴史書が出版されている。
例えば洪維揚の『日本戦国風雲録』、蕭西之水の『誰説日本没有戦国』、陳傑の『日本戦国史』、孫琳の『日本戦国物語』、赤軍の『宛如夢幻』等があり、まずまずの日本戦国熱を形成している。

 ここで一つの疑問が生まれる。
中国の読者はなぜ異国の600年以上も前の歴史に興味を持つのだろうか?
戦争の規模を語れば中国の三国時代に及ばず、戦術運用を語れば中国の春秋時代に及ばない。
その興味はどこから来るものだろうか?
実際のところ、日本人も自身のこの戦国の歴史が非常に好きである。
北条早雲、毛利元就、斎藤道三から織田信長と豊臣秀吉、徳川家康まで、これら鮮明な個性を持った戦国武将はみな、日本人が議論に熱中する対象である。
なぜ日本人も戦国時代に憧れるのだろうか?
中国人の興味は日本人の好みと同じところから来るものだろうか?
仔細に分析をしてみると、やはり分岐点があった。

 戦国時代は日本人にとって「非日本」の原理主義が盛りあがっていた時代である。
非日本」とは何か?
初め、1500年以上も早くに聖徳太子が、日本というこの国のために基本方針を定めた、即ち十七条憲法の第一条「以和為貴」である。
この基本方針が最もよく表れているのが、大和朝廷の「出雲譲国(註:国譲り)」神話であり、戦争を経ずに話し合いで他人の国土を得て、政権の正統性と永続性がここから誕生した。
日本で最も古い神社の一つである出雲大社は国を譲った「大国主神」のために建てられたもので、勝者は反対に自身を反省し、謙虚に「大和」というこの二文字の漢字を用いた。
そのため、歴史から日本の政体を見ると、つまりは合談(註:話し合い、談合)、即ち「合議制」である。
しかし1467年から始まった戦国時代はこの政体を打ち破り、「非日本」化の方向へと発展した。
ワンフレーズで日本の戦国時代を表すとすれば、殺人致富な時代であった。
殺人が多いほど、主君から得られる褒賞も多くなる。
これは卓別林(註:チャップリン)が映画『殺人狂時代』で言っていたあるセリフを思い起こさせる。
一人を殺せば殺人だが、百万人を殺せば英雄である。
これがつまり日本人が戦国時代に憧れる感情の基礎となるものだろうか?

 戦国時代を読み解いていくと、このような疑問を呈さずにはいられない。
120年以上続いた戦国乱世は日本人にどのような遺産を残したのだろうか?
有名な34度の合戦だろうか?
腹を切り自身の内蔵を取り出し敵陣に投げつけた武将たちだろうか?
恐らく違うだろう。
筆者が見るところ、日本人に消しがたい印象を与えているのは戦国時代の二度の宗教戦争であり、一度は比叡山の火攻めで、もう一度は石山本願寺合戦だ。
この二度の戦争は日本人の精神の枝幹に位置ズレを発生させた。

 日本の当時の社会構造は、守護の下に地頭があり、地頭の下には豪族がいた。
豪族の下が庶民だった。
守護、地頭、豪族は庶民を過酷に搾取する仕事に従事していた。
この構造は室町幕府の200年間ずっと続いたが、日本の戦国大名たちはそれを覆す決定をした。

 戦国大名が大きな打撃を与えてはいたが、やはり絶えず新しい搾取勢力が現れてきた。
その背後では、誰が庶民に暴動をそそのかしていたのだろうか?
それが日本史上最大の悪人と呼ばれる蓮如である。
この悪人は京都の山科に本願寺を創建し、浄土真宗を中興した。
蓮如は開山祖師である親鸞の教義を覆し、庶民から金をかき集め私腹を肥やし寺を建造した。
同時に、蓮如は庶民の後ろに立ち、彼らをそそのかし大名と抗争させた。

 このような抗争に対して、最も打撃を与えたのが織田信長である。
1570年、信長は石山本願寺と開戦。
この石山本願寺も蓮如が大阪に建造した寺で、元の名は石山御坊と言う。
この本願寺一向宗はあっという間に戦国大名と互角になるほどの一大勢力となり、最終的には天下布武を目指す織田信長と正面衝突するほどとなった。
この戦争は10年続いた。
1580年、本願寺第11世主の顕如がもう戦う力もないということで、戦は終結した。

 比叡山も当時の宗教搾取勢力の代表であった。
信長は、恐れるな、焼き払えと言った。
比叡山は「山門」とも呼ばれ、11世紀から院政が始まって以来、多数の僧兵を有し、勢力は強大で、日本伝統仏教権威の中心とも呼べた。
1571年、織田信長は比叡山の火攻めを始め、堂塔伽藍は灰燼となり、驚くほどの数の僧侶が殺された。
この致命的な打撃が天台宗比叡山の伝統権威を失墜させ、以後再びかつての姿を恢復することはなかった。

 信長はなぜ大きな労力を払って同時に二つの宗教戦争を行なったのだろうか?
これは日本戦国史上最大の謎である。
説は様々あるが、以下の三点は恐らく議論の余地はないだろう。

 第一は政治目的。
宗教団体の政治介入を厳しく制する必要があった。
第二は軍事目的。
比叡山が信長の軍事的対象である浅井長政、朝倉義景などに基地を提供することを防止するためだ。
信長には一罰百戒の意味があった。
第三は宗教恐怖(註:テロ)の根絶。
宗教を理由とするテロ戦争は絶対に許されなかった。
具体的手段はまず武装解除をして、それでも従わなかったら、武力行動に移った。

 信長はそのようにすると、後に続いた豊臣秀吉と徳川家康は手本とした。
比叡山の天台宗と対立していたのは空海の真言宗、即ち高野山金剛峯寺である。
高野山金剛峯寺も僧兵を有していた。
秀吉は高野山に警告を発した。
必ず武装解除せよ、さもなくば火攻めにする。
これは信長の言葉の受け売りである。
前車之鑑(註:後の人が教訓とする前者の失敗)があり、高野山宗教勢力は従順に武装を解除し、火攻めを免れた。
しかし紀州根来寺の新義真言宗大寺院は、その令を聞かず、本気の秀吉は火攻めを実行した。
家康の時代になると、血の教訓が多すぎたため、寺社等の宗教勢力はほとんど従い、火攻め等の惨烈な戦は起こらなかった。
信長、秀吉、家康三代の結論とは、宗教勢力は武器を持ってはならず、宗教宗派間の争いごとでは殺人をしてはならず、宗教指導者は政治介入をしてはならず、宗教団体は金儲けをしてはならないというものだ。
その後、このような異常に激烈な民衆宗教運動は日本の歴史に再び登場することはなかった。
これと対応して、宗教勢力には一定の経済保障を与えた。
そのため秀吉は比叡山の復興を許した。

 信長は続けざまに二度の宗教戦争を行なったが、その結果は日本人の精神をある方向に発展させた、世俗化である。
これは同時に近代黎明の曙の到来を予告した。
日本社会の世俗化の過程、日本人の精神の脱聖化の過程は、これを起点として始まった。
そしてこの過程の最終地点が現在の日本人が立っている場所である。
日本社会はこの延長線上に無神論の裸体形態を出現させた。
もしこの角度から織田信長を見るとすれば、彼こそが日本の宗教革命の唯一の旗手だった。
こう言うこともできる、今日の日本人の精神の方向を定めたのは決して法然ではなく、親鸞でもなく、道元や日蓮なんかではないと。
正負両面の意義からすると、より資格を持っているのは信長である。
信長は比叡山を焼き、石山本願寺を血祭りにあげ、その後自身の精神世界を表す安土城総見時寺を建築したが、このような行動は日本が古くから神を敬い仏を尊んできた心相と、誠に遠くかけ離れている。

 794年に平安京が成立してから、王朝の政権の正統性を握ってきたのは比叡山の権威であり、信長の手を通じて初めて地面にひっくり返された。
それまでの仏教、つまり密教は、既に日本国家を祈祷主義とし、謎めいた和尚は天皇の体内に霊気を吹きかける儀礼体系を成していた。
中宮と皇后の出産、天皇の死および新しい天皇の即位は、全て和尚の手を通じて密教の儀礼が行われた。
中世日本の摂関政治と院政体制は、このような厳密な体系の下で成立していた。
しかし摂政にしろ関白にしろ天皇にしろ、彼らはみな頭を剃り和尚となって、法衣を身につけ、霊気を操り権力と権威の座に座った。
例えば藤原道長、この人は当時あらゆる権力を握っていた政治的人物で、法衣を身にまとうだけでなく、密教僧侶の間で所謂加持祈祷(密教における極めて神秘的な一種の祈祷儀式)にも熱中して参与した。
院政体制を活用した後白河法皇も例外ではない。
そして集大成が第96代の後醍醐天皇であり、彼は手に密教法具を持ち、袈裟を着て、見たところ儼然とした仏光宝気な宗教の領袖のようである。
国家と宗教、政治と宗教、天皇と宗教、結局のところどのような関係だったのだろう?
どのような形式だったのだろう?
信長の比叡山の火攻め、石山本願寺の血祭りはこのような一種既に固定された形式と関係を壊したくて、仏は仏へ、王は王へ帰することが可能であるかを探りたかったのだろう。
信長は人を殺し、無数の僧侶を殺したとはいえ、彼は決して宗教の破壊者ではなく、宗教の否定者でもなかった。
比叡山は最終的には霊場として、本願寺は最終的には宗教発信地としてこの点を表明した。
宗教が編み出す妖怪鬼蜮(註:妖怪や幽霊、化け物)から政治的本質を分離して、政教混同の接点を切り離し、政教分離させた、これこそが信長の全てである。
これは正に日本の著名な宗教思想家である山折哲雄が言うところの、16世紀の世界史から見て、早期的国家と教会分離の近代原理主義が信長には既にあったということだ(参考『日本的宗教向何処去』、角川学芸出版、2011年)。
日本人は信長の罪は大悪級だと言うが、彼はどれほど僧侶を殺したとは言わず、彼は日本人の心の神仏を殺したと言う。
もし今の日本人に、あなたの信仰している宗教はなんですかと訊いたら?
ほとんどの日本人はこう答えるだろう。
私は無神論者です。
この答えの源は織田信長にある。
この点から言えば、信長は宗教の絞首者(註:絞首刑を執行する者)である。

 信仰に空白が生まれ、乘虚而入(註:隙に乗じて入り込んでくる)のは誰か?
それは徳川家康だ。
彼は強制的信仰、つまり檀家制度を設立した。
全ての日本人は必ずどこかの寺の檀家に従属しなければならず、檀家は永久に変えることはできない。
この檀家制度の本質は宗教というこの非常に危険な要素を国家の統治下に置くことであり、これは宗教戦争と宗教テロ根絶を意味する。
徳川幕府のこうした宗教政策は仏教内部の全ての競争と争いを化為烏有(註:灰燼と化す.烏有に帰す)させ、ずっと明治まで続いた。
日本人はいつも自身は無宗教だと言うが、ある時はまた自身は浄土宗だとも言う、これは江戸時代の檀家制度の名残である。

 自身の宗教が最も正しくて、相手の宗教は正しくない、だからたとえ相手を殺しても良心には何の問題もない。
こうした独特な宗教の不寛容さは、檀家制度の実施に従い日本人の中からは消えていった。
これは絶対的に意義のある精神の胎動だ。
そのためずっとローマ人の歴史を著してきた日本の作家である塩野七生は『男人的肖像(註:男の肖像)』の中で、信長と家康が日本人に送った最大のプレゼントは宗教間の不寛容を消したことであると述べている。
不寛容が消えると、宗教間の対立も解ける。
江戸時代の260年の平和の所以は、その思想的暗流がそこにあったからだろうか?
この意義から言うと、收繳刀槍令(註:刀狩令)を発したのは秀吉で、收繳心霊刀槍令(註:心の刀狩令)を発したのは家康である。
家康は一切の可能性を杜絶させた。
家康の後、日本の歴史に再び宗教指導者が出現することはなかった。
精神の空白がもたらしたのは政治の安定であり、この点は家康は誰よりもはっきりとしている。

 実際のところ信長の前は、日本の歴史においても宗教間の抗争は激烈だった。
例えば1536年の「天文法華之乱」が一例である。
この年はちょうど信長の誕生した年である。
比叡山延暦寺の僧徒は京都の市の中心で、法華宗(今の日蓮宗)に属する21の寺院を全て焼き払い、それから寺院にいた全ての僧侶を殺した。
武装した比叡山延暦寺は、なぜ武装した法華宗寺院を襲撃しなければならなかったのか?
原因は京都という狭い土地にあり、そこに法華宗に属する寺院はなんと21座もあった。
当時の京都の人口からすると、この数字は驚くべきものだったのである。
これは大半の京都人が法華宗と関係を持っていたことを意味する。
天台宗は当然快く思わず、法華宗は邪教であるとして、それを叩く機会を探っていた。
宗教間ではこのように度量が狭く異端を容れない所以は、宗教が生む先験論(註:先験論、超越論)の前提が絶対に正しいというところにある。
自身が絶対的に正しいと、他人の宗教は必ず正しくないことになる。
正しくないものは存在を求めると、それはつまり悪である。
この邏輯(註:ロジック)には宗教の殺人正当性の命題が隠されている。
どのように残酷な殺人をしても平和で心に何も感じない、なぜなら相手は邪悪な存在だから。
これは非常に恐ろしいことである。
信長はこの恐ろしさを扼殺したのだ。

 日本の著名な宗教哲学家である梅原猛はこのように信長を評している。
1806年に黒格爾(註:ヘーゲル。ドイツ観念論哲学者)耶拿(註:イエナ)大学で講師をしていたとき、彼はある日イエナ大の道でナポレオンが馬に乗り通り過ぎていくのを見た。
二日目、彼は興奮して友人に手紙を書いた。
私は世界精神が馬に乗っているのを見た。
ここではナポレオンは世界精神に等しかった。
日本の歴史に目を落とし、近代精神を持つ人格的人物を探すとすると、我々は織田信長に目を止めざるを得ない。
彼の存在は日本の近代精神である。
この点はポルトガルで生まれた伝教士(註:宣教師)弗洛伊斯(註:フロイス)が『日本史』の中でも論述している(参考『百人一語』朝日新聞社、1993年)。
ここで、梅原猛の明敏さは、ヘーゲルのナポレオンへの評論を用いてフロイスの織田信長への評論を引き出したところにある。
一人は世界精神で、一人は近代精神。
この規格はかなり高いものだ。
梅原猛の目には、120年の戦国乱世が残した印象は二度の宗教戦争によって導き出された近代精神であることが見て取れる。
108名の戦国武将のうち、最も話題とする価値があるのが織田信長なのである。

 これは文章の頭に回帰する。

 群雄割拠、昏天黒地。
人頭挂在馬鞍上飛奔、勝者為王敗者寇
無理走遍天下、有理寸歩難行。

これらは永遠に視聴率が悪くないテレビドラマである。
まさかこれが我々が現在日本の戦国史を出版し、日本の戦国史を読み解いている深い理由だろうか?
恐らく全てではない。
実際、戦国時代を理解して今の日本人の精神動向を見ること、今の日本人の行動様式を見ること、恐らくこれこそが主要なものだろう。
日本の著名な東洋史学家である内藤湖南は、日本の歴史を理解したければ、1467年の応仁の乱以後の歴史を知れば足ると述べている。
彼はなぜそのようなことを言ったのだろうか?
応仁の乱から始まるこの旧秩序に対する破壊、政治空間に対する新たな再編を表すにほかならない戦国風雲録は、やはり日本人に何かを残すだろう。
全ては実力によって語られる。
あなたがどれほどの野心を持っているかに関わらず、あなたがどれほどの恥知らずなおごり高ぶりであるかに関わらず、全ては実力によって語られるのだ。
そのため日本人はずっと実力者を崇拝してきた。
日清戦争以前は、日本人は実力のある中国人を崇拝していた。
日露戦争の前は、日本人は実力のあるヨーロッパ人を崇拝していた。
第二次大戦後、日本人はまた実力のあるアメリカ人を崇拝している。
現在の情况はアメリカ人が日本人をいじめるほど、日本人はアメリカ人に敬服している。
彼らの何に敬服しているのだろうか?
それはやはり実力である。
これは正に和辻哲郎が言っているところであるが、日本の戦国時代は実力主義で大股で前進していた時代なのだ。

 信長は1567年に斎藤氏を美濃国稲葉山城から追い出すと同時に、地名を「岐阜」にも改めた。
斎藤氏時代は終わった。
支配者が変わると、地名も変わる、これは世界史でも極ありふれたことである。
しかし日本では、信長が最初の人である。
関東独立を夢見た反逆者平将門、「我はこの世界の主である」と狂い叫んだ藤原道長、皇位を簒奪しようとした足利義満、初めて武家政権を開いた源頼朝、みな地名を改めることを思いついたことはなかった。
なぜ信長は思いついたか?
やはり自身の実力に自信満々だったんだろう。
更に忘れられない一点は、同時に二つの宗教戦争を起こした信長は、当時まだ36歳だったということだ。
わずか36歳の若者が世界的な難題に挑戦したのだ。
政治と宗教、国家と宗教は結局のところどう分ければいいのか?
少し疑いもなく、これも現在の世界政治のリーダーを悩ませている難題である。
全ての政治資源と人的資源、文化資源を動かすことも解决が難しい難題であるが、信長には峰回路転(註:転機が訪れる。峰が曲がり道がくねる)結末を有していた。
手段は粗野だったとはいえ、殺人が多かったとはいえ、日本人の精神を変えた。
成功しなかったとは言えない。











確かに今の日本人に深く影響しているのは織田信長であり、それに続く豊臣秀吉と徳川家康でしょうね。
上杉謙信や武田信玄には恐らく同じことはできなかったのではないでしょうか。
もし天下を取ったとしても中世の延長がそれからも続くだけなような気がします。
破壊と創造。
信長が日本の中世の終わりの象徴であり、近世の始まりの象徴でもあると思います。
にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ
にほんブログ村

NHK大河ドラマ総集編DVDシリーズ 信長NHK大河ドラマ総集編DVDシリーズ 信長
(2002/12/20)
緒形直人、菊池桃子 他

商品詳細を見る


NHK大河ドラマ 秀吉 総集編 [DVD]NHK大河ドラマ 秀吉 総集編 [DVD]
(2012/03/02)
竹中直人、沢口靖子 他

商品詳細を見る


NHK大河ドラマ総集編DVDシリーズ 徳川家康 3枚組NHK大河ドラマ総集編DVDシリーズ 徳川家康 3枚組
(2003/04/25)
滝田栄、大竹しのぶ 他

商品詳細を見る


banner.gif


アフィリエイト・SEO対策




関連記事
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
義援金募集
FC2「東北地方太平洋沖地震」義援金募集につきまして
プロフィール

miu

Author:miu
ご意見、ご感想、ご要望をお持ちしております。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
カテゴリ
あなたのクリックが私の血肉に↓
にほんブログ村 海外生活ブログ 中国情報(チャイナ)へ
月別アーカイブ
これまでのお客様
アクセスランキング
[ジャンルランキング]
ニュース
378位
アクセスランキングを見る>>

[サブジャンルランキング]
海外
34位
アクセスランキングを見る>>
検索フォーム
Amazon人気書籍
Twitter
FCライブ
Amazon特別プロモ
漫画、アニメのニューリリース
調味料のベストセラー
台所家電のニューリリース
フィットネスのニューリリース
サッカーのニューリリース
電子辞書
ちょっとした中国語学習に
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。